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2008/02/04

大学にできること

センター入試も終わって、私大の入試が始まっている。昨日東京ではけっこうな勢いで雪が降ったので、交通機関の遅れなどなかったか心配なわけだが、受験生の皆さんにはぜひ充分に準備して、がんばっていただきたい。望む結果が得られるようお祈りする。

以上を前提として。

大学入試は競争なので、全員の希望がすべてかなえられることは、まずない。特に人気の高い大学であれば、数倍、数十倍の競争になることも珍しくないから、結果としてかなりの人が「サクラチル」となるわけだ。もちろん、受験生の側では複数大学を受験してリスクを分散することになるから、表面的な倍率はある意味「水増し」されている。大学の側でも、それを見越して定員以上の学生を合格にして、そのうちどのくらいの学生が実際に入学してくれるかで一喜一憂することになる。「選べる」立場の大学ばかりではないという意味も含め、まさに「お互い様」。

希望がかなえばもちろんいいわけだが、かなわなかった人は、真剣に取り組んでいればいるほど、つらい経験となろう。中には、それこそ人生終わったといわんばかりの悲嘆に暮れている人もいるかもしれない。気休めと思われるかもしれないが、まあまあそうがっかりしないで、という話を少しだけ。職業柄この問題に対してものをいうのは若干微妙なところがあるが、そこはまあ気にせず。

大学の選択が大きな問題となるのは、出身大学が就職やその他のイベント(結婚も?)における選択肢や、本人の自負心などに影響すると思われるからだろう。実際、出身大学は人を語る際の定番の話題になっているし、雑誌などでも「社長の出身大学」といった特集記事があちこちで見られる。個人的な経験でいえば、大学時代、家庭教師のアルバイト時給が大学によってちがうということもあった。ある業種ではこの大学の出身者が多いといったことも珍しくはない。

これは、大学側にとっても、ある程度「望むところ」ではある。大学はそれぞれ独自のカリキュラムやら制度やらによって差別化をはかり、より多くの意欲ある受験生を集めて、その中からできるだけいい学生を選びたい。そのために一生懸命になっているわけだ。そうした工夫はもちろんそれなりに意味や効果があることだし、それを否定するようなことをいうのは気が引けるのだが、実際のところ、そうした個性の多くの部分は、大学を出て社会人となった後でその人にどのくらいの影響を与えているかというと、よくいわれるほど影響しないのではないかと思う。

まず基本的なところからいくと、カリキュラムのことはひとまず措くとして、仮に教育の質を「教員の水準」と考えるなら、外部で考えられているほどには差がない。というのも、他の国の事情はよく知らないが、日本の大学はどこであれ、非常勤講師や兼任・兼業講師に依存している部分が大きいからだ(「兼任」は他大学教員が本職の者、「兼業」は大学教員以外の本職を持つ者)。このあたりを見るとわかるが、大学では専任教員よりも非常勤講師による授業のほうが多いし、大学の専任教員もその1/3~1/4は他大学でも教えている。よしあしは別として、教員のほうはけっこう入り混じっているわけだ。

もちろん、大学の評価は偏差値で序列化されていて、その他もろもろの要素を加味してそれが各大学の「ブランド」となる。むしろ、偏差値が高いとか、大学名を名乗るときに恥ずかしくないとか、そういう目に見えやすい部分のほうが、学生の方々にとって重要なのかもしれない。ちなみに、2年ほど前に行われたgooのネットアンケートだとこういった結果になっている。



気持ちはわかる。意味がないなんていえないしいわない。ただそれでもあえて、少なくとも入学した後は、そういったものにあまりこだわらないほうがいい、と主張したい。

大学にできることというのは、実はそれほど多くない。「優れた教員陣」も「よく練られたカリキュラム」も、「最新の施設」も「充実した就職サポート」も、学生の将来を保証したりはしない。大学が提供できるのは、結果ではなく、あくまで「場」と「機会」だ。もちろん大学の名前にまったく影響力がないということはないが、大学の差より個々人の差のほうがよほど大きい。棚からぼたもちは落ちてこない。ぼたもちが食べたければ、棚まで行って戸を開けなければならない。

「就職に有利な大学」「社長になるにはこの大学」といった話がよくある。しかし、たとえば会社社長の出身大学を調べたらある大学の出身者が多かったとしても、それは、あなたがその大学に入れば社長になれるということではない。ちょっと古いが「上場企業の社長を数多く輩出する大学」などという記事があって、「週刊東洋経済」に出ていた、ジャスダックを含む全上場企業の社長の出身大学のランキングを紹介している。

1 慶応義塾
2 東京
3 早稲田
4 京都
5 日本
6 中央
7 同志社
8 明治
9 大阪
10 一橋
(週刊東洋経済 2004年12月18日 p.146より)

上場企業には、これらの大学の出身者も、その他の大学の出身者もたくさんいる。上場企業の社長がここに挙げられた大学で占められる割合はせいぜい半分ぐらいのはずで、残り半分は広く分散している。社長になるかどうかは、基本的には、どの大学を出たかではなく、どんな能力を持っていて何をするかによって決まるのだ。上記の大学から社長が多く出ているのは、能力と意欲に優れた人たちが大学入試においても、企業内においてもがんばったという結果だろう。これは別に社長に限った話ではない。ビジネスの世界で、出身大学によって決まるものは多くない。現場では、いちいち出身大学を気にしているひまはないのだ。就職の時点では、大学の影響力が増す部分がやや大きいかもしれないが、それでも個人の能力差を覆い隠すほどではない。企業が欲しいのは優秀な人材なのであって、大学名はその判断の助けになるといった程度でしかないだろう。

要するにいいたいのは、自分の人生を決めるのは自分自身であって、大学ではないということだ。

仮に優秀さが定義できるとして、優秀な学生を多く輩出している大学を「優秀な大学」と呼ぶのはかまわないだろうが、それはあくまでその卒業生を平均的にみて優秀ということにすぎないのであって、「優秀な大学」を卒業した特定の学生が優秀かどうかは別の話だ。つまり学歴が能力を生むのではなく、能力がしばしば学歴につながるということ。「大学の差より個々人の差のほうがよほど大きい」というのは、そういう意味だ。

だから、大学受験で望む結果を得られなかったとしても、それで人生は終わらない。社会で役に立つのはほとんどの場合能力なり経験なりであって、学歴ではない。能力を高めたり経験を積んだりする場は大学だけではないから、大学でそれが得られなければ、別のところで探せばいい。どうしても学歴が欲しければ、来年またチャレンジしてもいいし、大学院でリセットするという手もある。それに、そもそも失敗だと思ったことが実は成功だったなどということもたくさんある。たいていの失敗は、後からみれば笑い話だ。挽回のチャンスはたくさんあるのだから、ふてくされて4年間すごすのはもったいない。

同様に、大学受験で望む結果が得られたとしても、それで安心してはいけない。学歴でどうにかなることなど、本当に少ないし、「優秀な大学」出身者となれば期待の水準も高いから、かえって幻滅されることもあるかもしれない。なまじ高学歴だとプライドが高くて使いづらいという先入観を持たれることだって少なくないのだ。

なんだか妙に長い文章になったが、ともかく。大学は、ゴールでもなければ唯一の手段でもない。さまざまな経験や機会を与えてくれる場であり、有益な通過点の1つだ。入試で戦う相手は大学でも他の受験生でもなく自分自身だ。「優秀」な人もそうでない人も、ベストを尽くしてもらいたい。がんばらないことを否定するつもりはないが、少なくとも私たちの社会は、一定割合の人ががんばることを前提として成り立っている。だから、がんばった人にそれなりの見返りがあることが許容されているのだ。少なくとも私は、がんばる人に教える方が楽しいし、そういう人に「場」と「機会」を用意するためにがんばっているつもりなので、ぜひそういう方に来てもらいたいものだと思う。


選択肢はたくさんある、ということで。


内容は読んでいないが、なんだかとても迫力のある表紙ではある。


受験生には「不向き」なタイトルの本だが、内容は必ずしも不向きではないと思う。

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