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2009/02/08

新ゼミ生課題作品:エッセイ「私の人生最大のピンチ」3

駒澤大学GMS学部山口ゼミでは、2009年度ゼミ生募集に際し、課題作品の提出を求 めました。ここでは提出作品を順番にご紹介しています。エッセイ部門の課題は「私の人生最大のピンチ」です。これは名無し2号さんの提出作品です。
(担当山口)

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人生最大のピンチ

「ピンチ」とは危機、窮地、危急の場合のことである。私は19年間生きてきた中で人生最大のピンチを2度体験した。その2度のどちらとも私が所属していたクラブ活動の中での出来事である。当時の私はこの世のすべてが嫌になり、この世で私ほど不幸な人間はいないのではないかと思いながら暗い日々を過ごしたような気がする。

中学校時代、何よりも走ることが好きで何よりも陸上部に情熱をそそいでいた時、ピンチが訪れた。走っても、走っても思うようなタイムが出ず、スランプに陥りしまいにはボロボロの身体と心になってしまった。同じクラブに所属していた仲間達は私よりはるかに成長していた。私は仲間達が成長していく中で一人取り残された気持ちでいっぱいになり毎日が辛かった。

私はその当時、短距離に所属しており、中学二年生までは調子がよく、中学三年生では部長としての責任を果たしながら練習にも打ち込み、最後の大会に向けて意気込みが最高潮に達した頃、私の最初のピンチが訪れた。

いつものように朝練をしていたある日、左股裏に衝撃が走った。左股裏から「ピキッ」と音がした。その時は何も痛みも感じずいつものように朝練に打ち込んでいた。午後練になって自分の足の異変に気がついた。「左足が思うように動かない。」走り出すまで全く気がつかなかった。全国につながる大きな大会の一週間前の出来事だった。

頭の中に出てきた最初の言葉が「どうしよう」だった。私はリレーメンバーの一人だった。その年のリレーチームは良い成績が残せると期待されていたのだ。その中での私の怪我。自分を責める事しか出来なかった。

幸い、軽い肉離れだったためテーピングをぐるぐる巻きにしながら騙し、騙し練習に打ち込んだ。しかし、練習中に思うことは仲間のこと。私以外のリレーメンバーが今まで積み重ねてきた練習を私のせいで水の泡になんてことになったらどうしようと不安な日々を過ごしていた。最後の最後でこの始末。これも私の人生の中での一つの試練と考え、割り切るしかなかったのだ。

仲間達は私にこの上ない気の遣い方をしてくれた。少しでも私の負担を無くそうとしてくれていた。リレーメンバー達には「私が○○(※名無し2号さんの名前。山口注)の分まで走ればどうってことない」「全く走れなくなったわけではないのだからできるとこまで頑張ればいいじゃん」「うちらなら出来るっしょ」など何気なく言葉をかけてくれていた。リレーメンバー達からのあたたかい言葉のおかげで頑張れた。足が壊れても良いから全ての力を出して頑張らなければ罰があたると思った。

本番の大会では入賞の一歩手前の第九位に終わった。全てが終わった瞬間、自然と涙がこぼれてきた。あの朝練が終わった時点できちんとケアをしとけばどうなっていたのだろうと思うことがある。でも、このピンチのおかげで学ぶものもあった。私は改めて思った、大切な仲間達があっての私なのだと。

二度目のピンチはやはり高校でのクラブ活動、陸上部でのことだ。短距離に限界を感じ長距離に転身した私は初心者同然であった。中学の頃とはかけ離れた練習量、初めは続けられる自信なんて全くなかった。しかし私は走ることが好きなのだと改めて実感した。肉離れは相変わらずだったのだがケアにも慣れ、また長距離だったため足の負担は少なかった。都駅伝では一年生からレギュラーに入り第十二位という成績を残した。その時は何もかもが順調だったように思えた。

しかし、二年生の時に誤解が誤解を生み避けることの出来ない人間関係に山にぶつかり、前へ進むことが出来なくなってしまった。あれだけ頑張ってきた部活、大好きだった部活、中学から積み重ねてきたものをこの時全て投げ捨てたかった。どうする事も出来ないこの気持ち。ある一人の人間によって壊された私の陸上生活。絶望的だった。私は何人かの部員と供に陸上部を去ることになってしまったのだ。

言ってしまえば、私から「陸上」というものを取ったら何もなくなる。人間というのはなんてもろい生き物なのだろうか。たった数日で過去の自分が消されてしまったように感じた。やる気を失った私はどうしようもない挫折感を味わい、ぬけがらのような毎日を過ごし、行き場のない自分を見た気がした。

しかし、またそこでも私は大勢の友人が心配してくれた。大きな支えとなってくれた。またくじけ負けそうになった私に相手よりもっと大人になれと忠告した人もいた。当時17歳の私にもっと大人になれと言われても私にはわからなかった。しかし、私の周りにはいつもたくさんの友人がいた、一緒に泣いてくる友人や、笑ってくれる友人、話を何時間でも聞いてくれる友人、愚痴を聞いてくれる友人。二年生後半に部活という大きなものを失ってから卒業するまでの間多くの友人達に囲まれ、励まされたことが私をピンチから救ってくれた。

この二度のピンチは結果的にはチャンスは訪れなかったが、大きな宝物を手にした気がする。泣いて笑って過ごした中学校時代、高校時代。ピンチの後のチャンスありとは私にとって大きな友情という宝物を手にした。だから今の私がここに存在できるのだと思う。

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なんか、いい話っすね。・・となぜかこういう口調になってしまったりします。「・・っすね」とか「・・っしょ」という口調の人、スポーツ関係に多いような気がするのは思い込みでしょうか。

それはさておき、いろいろと大変な状況だったようです。スポーツには怪我がつきもの。このあたりをきっちり管理するのも競技者の責任、ではありますが、何せチャンスはそう何度もありませんから、運の要素はつきまとうわけですね。それに、人間関係も重要です。何があったかはよくわかりませんが、意に沿わず部を去らなければならないというのは相当につらかったでしょう。こういうときに支えとなってくれる友人は、ありがたいものです。

結果を受け入れ、糧とすることも含めて、学生スポーツの意義ということなんでしょう。今このように整理できるのであれば、全体として、いい経験をした、といえるのではないでしょうか。

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コメント

なんか、いい話っすね・・・
確かに体育会系は「っスね」っていう人ばっかっス。
俺は高校生の時から社会人チームでやってたから、部活の素晴らしさとか、同年代のチームメイトっていうのとは無縁でした。怪我をして半年くらいプレーできなかった時も一人で治療して一人でリハビリして、一人でプレーできない辛さと戦ってました。チームメイトももちろんいたけど、年上ばっかだったし。まじ辛いっすよ、一人って。発狂しそうになりますもん(笑
やっぱ、友達がいるっていいですよ。全部が楽になる。
メダルとか賞状なんかより、一緒に過ごした仲間の方がでかい財産になりますよ。

投稿: 2期T.Aki | 2009/02/10 21:31

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