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2010/01/23

マスメディアが科学的根拠のない占いを取り上げても問題ない理由

授業中、たまに小テストをやることがある。ポイントを理解しているかを確認する本来の意味での小テストの場合もあるが、中には出席確認やらアンケートやらを兼ねた、あまりテストっぽくないものも含まれる。以下のものもそういった一例で、新聞や雑誌、テレビやラジオなどのマスメディアが、科学的根拠のない、星座や血液型などによる占いや性格診断をよく取り上げているが問題はないのか、という点について意見を求めてみたもの。

で、結果からいうと、大勢は予想通り「問題ない」という意見だったのだが、その理由でいくつか面白いものがあったのでメモしとこうと思った次第。
(山口)

本題に入る前に趣旨を説明しておく。この問いは要するに、マスメディアの「正しい情報を伝える責任」みたいなものについて考えてもらおうというものだ。マスメディアが社会に強い影響力を持つ大きな理由の1つは、その情報に関する信頼性だ。マスメディアの情報に接するとき、私たちは、それらがきちんと取材され、検証されたものであることを前提に考える。それは報道以外の分野でもある程度はいえるわけで、要するに「マスメディアがとりあげてるんだから大丈夫だろう」と世間的には受け取られている。

それをふまえて、じゃああの占いとか性格診断とかはどうなのさという問いだ。よくテレビドラマで「このドラマはフィクションであり、実在の人物・団体等とは一切関係がありません」みたいなことわりがきを流しているが、あれが必要なら占いや性格診断には「この占いは科学的根拠がありません。あくまで娯楽としてお楽しみください」みたいなものが必要だろう。たとえば例の2012年に地球がなんたらとかいう話だって、昔とちがって今は、番組の中で取り上げるときには最終的に判断を視聴者に委ねるかたちで逃げを打っているはずだ。

というのも、そういうものを信じた人が重大な、たとえばその後の人生を左右するような決断をしてしまったらその責任を負えるのか、みたいな問題があるからだ。2012年に地球が滅亡すると信じて財産をすべて費消してしまった人がいたとしたら、場合によっては「だまされた」と訴えられるおそれだってあるかもしれない。昔はともかく、今はマスメディアの落ち度に対する世間の目がはるかに厳しくなってきているから、逃げを打っておくのは当然だろう。ではなぜ占いや性格診断はそうしないのか。科学的、あるいは客観的な根拠があれば、あとで第三者が検証することができるが、占いの根拠はその占い師にしかなく、そもそも検証は不可能なわけで、それをそのまま紹介して一蓮托生にされるのはこわいはずだ。

とはいえ、マスメディアにももちろん、皆が事実でないとわかってるものもたくさんある。ドラマなどはその最たるものだが、あれは上記の通り注釈を入れている。しかし他にも、バラエティ番組や旅番組など、周到に準備していても偶然を装った演出があたりまえに行われるものはある。これらは「演出」の範囲内とされ、演出自体はよほどのことがない限り特に問題にはならないが、虚偽があってそれがばれると大きな問題になる。では占いや性格診断はどうなんだろう、というわけだ。

それともう1点、この種のものは差別の原因になりうる。典型的には、星占いならさそり座、血液型ならB型の人は少なからず実感があるのではないかと思う。たとえば交友関係や男女交際で、あるいは就職や配転で、血液型を理由にチャンスを奪われたり不利益を被ったりしたら、シャレではすまないわけだが、実際に例はあるようだ。からかわれるくらいならいいではないかという理屈も、いやだと思う人に通じる話ではなかろう。

なんてことをさらっとではあるが話したうえで、意見を聞いてるわけだ。正解を答えさせるというよりは、自分がどう考えているかをわかりやすく説得力をもって説明せよ、という趣旨なので、私とちがう考えでもかまわないと説明したし、実際意見そのもので採点しているわけではないのだが、上記のようにある種思い切り「誘導」はしている。

ところが、回答の大半はそれでも「問題ない」というものだった。同じことを過去に何度か試してみてほぼ同じ結果だったのでまちがいないと思うが、あれだけ誘導しても圧倒的多数が「問題ない」と答えたということは、それなりに定着した考え方なんだろう。で、問題ないと考える理由でどんな答えをしてるのかをいくつか拾ってみた。実際には自由回答なので、複数の理由を挙げた者のほうが多いのだが。

まずは一番ポピュラーなもの。いわば「常識派」な答え。( )内は勝手な補足。

(1)そうしたものに根拠がないことはみんなわかってる
(2)そうしたものは社会的に受け入れられてる
(3)人はそうしたものをそれほど真剣に信じているわけではない
(4)楽しいからいいではないか

要するにみんなわかってるんだからうるさいこというな、というわけだ。だまされてはいないから被害もないし、みんなこういうものとのつきあい方をちゃんと知ってる。楽しいんだし、いいじゃんと。うそだとわかっててもこういうものに一喜一憂するのがうれしい、ということらしい。ある意味ドラマと同じというわけだな。

次に多かったのが、いってみれば「自己責任派」。上の意見と似てるが、もう少し「自分」を意識した感じか。

(5)信じるも信じないも自由だ
(6)いいほうだけ信じるから害はない
(7)自分は信じないので問題はない

(6)はよく聞く方便。いずれも、実害はないからいいというわけだが、その根拠が自分ないしその周辺にしか及んでいないふしが感じられるのはちょっと気になる。

そのバリエーションとして「自助努力派」というのもあった。こんな意見。

(8)差別する人を差別してしまえ

つまり、星座や血液型を理由に差別してくるやつがいたら、

「逆にそいつらを差別してしまえばいい」

と。なぜか自分が必ず多数派にいると思っているらしき点とか、そもそもその「努力」の向け方ってどうよとかいろいろあるが、まあ威勢がいいのはわかる。

他の回答はいずれも比較的少数。たとえばメディア側に立った意見。「業界派」とでもしておこうか。

(9)表現の自由である
(10)視聴者が求める情報である

(9)はちょっと意表をつかれた。確かにそうなんだけどね。(10)はいかにも業界の人っぽい言い方。

あと、「開き直り派」みたいな人もいる。

(11)根拠のない差別は他にもある
(12)人種、宗教など他の差別に比べればはるかにまし
(13)メディアが伝えなくても占いを信じる心は変わらない

世の中差別は他にもたくさんあるんだし、そっちよりましだしというわけで、まあこれくらいいいじゃんということか。これが理由になるのかどうか別として、いいたいことはわかる。あと(13)はちょっと面白い。すでに占いや性格診断は世の中に広まってしまっているから今から規制やら自粛やらしても意味がない、と。すでに私たちの手は「汚れて」しまったというわけだ。

ここまではまだいいのだが、「おいおい大丈夫か派」みたいな人もいて。

(14)なんらか根拠はあるだろう
(15)あたってるので問題ない

(14)は具体的には

「科学的こんきょがないとしても、何かにもとづいて出された結果だと思うので、別に信じてもいいと思う」

と。「根拠」ぐらい漢字で書いてほしいのだが、私は国語教師ではないので、それよりも「何かにもとづいて」の「何か」が何かを考えてないところにつっこみたい。(15)は

「実際に言われていることと、自分が感じることが一致したから言うのであるから」
「悪い事が起きたときに占いをみるとたいがい悪い結果になっていることが多いと思うので、占いのせいにして感情がやわらいでいると思います」

と。当たっちゃってるらしい。まあ認知バイアスを考えれば予言の自己成就性はある程度理解できるところではあるわけだが、正面からこういわれてしまうともうなんといっていいのやら。うーん、がんばる。

「問題ない」とした学生たちの中で「おっ」と思わせたのは以下のような回答。

「等しくはずれるのだから平均すれば差別ではない」
「すべてのメディアがまったく同じ内容なら問題はあると思う」

上のほう、血液型性格診断が「等しく」「差別ではない」のかどうかは議論の余地があろうが、確率的発想を持ち出したところは面白い。下のほうの意見は全体として「問題ない」としたうえでの留保条件。通常、メディアで紹介される占いや性格診断がそれぞれちがうことは信頼性の欠如の証拠としてとらえられがちだが、それをひっくり返して公平性の根拠ととらえているところが独創的。

少数派ながら、問題ありとした学生の意見。

・B型で迷惑に思う人もいる

正統派の批判。こんな回答。

「根拠のないものを人々が信じてそれにつけ込んで商売するのはあまりいいことだとは思わない。わたしはB型だけど、B型ってなぜか悪いイメージがあるので、そうゆうのはうざいです」
「最近小学校では「こいつ今日運勢わるいから近づかないようにしよーぜ!」的なはぶられ行為がある所もあるらしい」

一応小テストなんで「そうゆう」とか「うざい」とかはやめてほしいと思うのだが、それはそれとして、気持ちはよくあらわれてる。「はぶられ行為」(このことばもどうかと思うが)の事例紹介も興味深い。こういうことがあるのか。

ただ、こういう「無理難題系」はちょっとどうかな。

「もし放送するなら絶対にはずれない占いをつくりだしてからするべきだと思う」

いや、それ無理だから。

あと、「問題がある」とか「自分は信じない」とか書いたうえでこう書くのもいかがなものか。

「ちなみにO型です」


ともあれ。全体としては学生の皆さん、占いや性格診断などと比較的うまくつきあってる方といえるのかもしれない。こういう人が多ければ訴訟が殺到することもなさそうだし、メディアの方々にとってはある意味ひと安心といったところか。ただやはり、中には迷惑をこうむっている人、いやがってる人もいるということは考えたほうがいいと思う。実害はないというが、実益もあんまりないわけだし。


※テレビ局の「演出」について、ちょうどこんな記事が出ていたのでリンクしておく。
演出は、初めから決まっていたんだね」(信子かあさんの大家族日記)


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